5つの質問「教会、行かなくっちゃダメ?」
しばらくネット落ちしていた間にNoblogさんに次のお題が出てしまいました。しかし、皆様のトラックバックを拝見しながら思ったことがあったので、7月30日分について書きたく思います。
1. 美容院ではたらくAさんがイエス・キリストを救い主として信じました。ですが、職業上、日曜日の礼拝に出席できません。どんなふうに声をかけたらよいでしょうか。
1.については、「仕事外の時間帯の礼拝を勧める」というのが大体のご意見のようですね。でも、それが不可能な地域の場合、一人ででも日曜の早朝か深夜に家でメッセージテープを聴いて、一人であるいはCDにあわせて賛美歌を歌い、心から神様を礼拝する時間をとられるのも一案ではないかと思います。
さらに可能なら、仕事外の時間帯にもたれる聖書勉強会や祈祷会に参加して、とにかくクリスチャンの兄弟姉妹と主にあっての交わりを保つ、というのも大切ではないかと思いました。
あと、ネット礼拝というのはどうなんでしょうね。アメリカでもさかんですし、日本でも、ほんの一部の教会はネット配信などしているのでは?
2. 看護学校に通うクリスチャンの学生さんがいます。病院に勤務することになれば、日曜日の礼拝に出席できないことが予想されます。さて、職業選択にあたって、どんなアドバイスをしますか?
2.については、皆様と同じように、神様に祈ってそれが召命であるか、理解した上でその道を進むのがよいと思います。また、日曜礼拝が(毎回でなくとも大半は)守れるような病院に勤務できるように、在学中から神様に祈り続けてゆくことも有益な手ではないでしょうか?
3. あなたはなんのために教会に行っていますか?
私は一番目に神様を礼拝するためですね。二番目にそこで出会う方々にその時間の中でお仕えすること。
でも、仕えるということは正直に言って、時にしんどいです。神様から力を頂かなければ、到底自分独りの力で仕えとおすことはできません。だから、どう間違っても、一番目と二番目の順番を取り違えることのないように留意し、祈っています。
4. あなたは教会に行く前といった後では、自分がどのように違っていると思いますか。
第一段階(中学生の頃):聖書に書かれている神様を信じているかどうかわからないけど、中学一年の一学期にカトリック教会の金曜日の朝のミサに行っていた時には、教会に行くと心の邪念が消えて、思いが綺麗なったような気がしていた。でも、その時の変化は一瞬で、嫌なことがあれば、たちまち元の木阿弥になっていた。(だから、ちょっと躓いた時に、すぐにキリスト教から離れてしまったのだったと思います。)
第二段階(神様を信じて教会に行くようになって洗礼を受けたとき):自分が神様に愛されており、自分で自分を愛せなくても神様が愛してくださるのだから、神様が愛している自分を自分自身で受け入れて愛さなくてどうする、と気づき、自己嫌悪から解放された。
第三段階(クリスチャンになって神様は信じているけれど、教会に諸事情で行けなくなった時期を体験した後):教会に行くということは、喜びであり、多くの人々とともに愛する神様と親しく交われる時間であると、はっきり認識するようになった。だから、たとえ旅先であっても、見知らぬどこかの教会でもいいから、神を愛する人たちと共に礼拝を守ることを楽しみにするようになった。
5. 教会って、やっぱり行かなくっちゃダメなんでしょうか。
うーん、神の民が共に集って礼拝することの大切さ、という観点からは、何人かの牧師先生がコメントでおっしゃっているように、「しなけりゃダメ」と言うべきかもしれません。
しかし、今の私の立場からは、「行くように勧める」ことはしますが、「なければダメ」とは言えません。もし本人が礼拝に行か「なければならない」と思うなら、それは本人の心の中に棲んでいるエゴを含めて第三者から強制されているものであり、本人の心からの真の愛の発露ではないと思うのです。そして、神様が喜ばれるのは、私たちが心の底から神様を愛することなのですから。
ただ、どの場合でも、言葉のあやの上では、「なければダメ」のような脅しに近い勧めが必要な場合もありますから、最終的にはケース・バイ・ケースで、そのような状況に直面した方が祈ってどう対応するか決められるのがよい解決方法だと思います。
長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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Posted by: casino games | 14 August 2004 at 07:56 AM