03 February 2006

black bird の囀りで春を感じる

今日、今年初めてロンドンの拙宅付近で「black bird」が囀るのを聞きました。

日本名は「黒つぐみ」とも呼ばれ、これから五月の末頃まで営巣期に入ると、雄鳥が「ひよひよひよ」という優しい美しい声で囀るようになるのです。鶯と同様、営巣が終わると彼らはどこかに消えてしまい、都会では見られなくなります。また雄鳥も囀るのを止めてしまうので、夏の半ば以降、翌年早春までは彼らの声を聴くことはありません。

六月の夏至前にもう空が三時半には明るくなる季節に日の出前に囀られると、さすがに少々閉口するものはありました。しかし、今日はたまたま日暮れ直前に、今年初めての囀りを聴いたのです。その瞬間、英国にも春が到来したということを強く感じました。

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12 January 2005

「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21章17節より)

今年の小さな目標の一つに、短歌で福音を表現できるものならしてみたい、というものがあります。

全くプライオリティの低い目標ですが、歌人の方の目に留まったらお目汚しと思いつつも、試みてみようという気持ちはあります。私は歌のルールなどよく知らぬ者ですが、ご批判・ご指摘など賜れれば幸甚に存じます。

わが羊飼へとおほする主の御声ありがたけれど怖れ畏む

今週の日曜日の礼拝で、神様が私の心に語りかけられた、ヨハネ福音書21章17節の御言葉です。

「わたしの羊を飼いなさい」

本当に自己中心な私、体が頑健でないゆえ、思うことの半分も実行に移すことのできない弱い私がいます。しかし、そのような私に、イエス様は語りかけられます。「わたしの羊を飼いなさい。」

自分は牧者という聖なる資格を主から頂いていますが、実際には本当に小さな者です。それでも、どうか、私が日々、牧者の心情をもって、今年一年を生きることが出来ますように。

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01 January 2005

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
旧年中はこのブログをご訪問くださり、ありがとうございました。

11月と12月は、本業への復帰準備で多忙だったゆえ、本ブログの更新まで準備がまわりませんでした。

英国のクリスマス風景をお届けできず残念でしたが、今年も、時折更新してゆきたいと思っております。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

御降誕後二千五年&平成十七年元旦

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31 October 2004

イギリスは今日から冬時間(winter time)です。

イギリスは今日から冬時間になりました。

昨日までのロンドンでは、日没が17時40分で、夕暮れは6時前後だったものの、朝が日の出が7時50分で、午前8時でもようやっと日の出直後という状況でした。

参考:ロンドンのお天気サイト(英語)
http://www.thisislondon.co.uk/myday/weather/

だから、夕暮れが遅いのは嬉しいものの、朝はまだこんな暗いのか、という失望感を感じることが多くなっていました。

しかし、本日(10月最終日曜日)の未明に時刻が一時間遅くなりました。具体的には、10月31日の午前二時になった時に、時計の針が戻され、午前一時になるのです。(だから、この日には午前一時が二回あります。)

#ちなみに、これと逆のプロセスが夏時間になるとき(3月最終日曜日)の未明に起こります。つまり、午前一時を打った途端にそれが午前二時になります。だから、この日は、午前一時台が存在しないのです。だから、一年間で見ると、辻褄は合うようになっているのです。

それゆえ、今日から日本との時差は9時間に拡大しました。例えば、日本の午前9時がロンドンの深夜零時、日本の正午は午前3時、日本の午後5時がロンドンの午前8時、日本の午後11時がロンドンの午後2時、といった具合です。

そういうわけで、今朝のロンドンでは、日の出が午前6時52分でした。午前7時現在もう通常の曇り空が広がっています。朝に明るくなっている、というのは実に嬉しいことです。

尤も今日の夕方は、ロンドンは16時39分に日没になることがわかっているので、5時には真っ暗なのが確実であり、冬の訪れを噛みしめることになるのは確実ですが。

イギリスを含めた高緯度のヨーロッパ地方では、たとえこの土地に生まれて育った方でも、冬時間に心が適応できず、心に病を発する方がこれから増えるそうです。だから、例えば車を運転していて、気分が落ち込んでいて事故を起こしたり、また出勤をするのが辛くなり、仕事場にいても能率が上がらない、などから、激しくなると引きこもりが起こってしまったりするそうです。どうか、そういう方たちの症状が軽減され、事故が減りますように。

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27 October 2004

短歌で福音を

和歌には小さい頃に、三十一文字を並べさせられた体験があり、小学校以来遠ざかってはいたものの関心がありました。

しかし、今の私が本当に表現したいのは、福音であり、それを短歌の形でどのように表現したらよいか、見当がつきませんでした。(勿論、まず三十一文字に並べてみよ、スタートはそれからだ、という強硬論もありますが、私はそういう形で入るのは苦手なのです。)

そこで、内心モデルを捜し求めていたところ、今日偶然に「ふーしゃんの短歌ワールド」というサイトにお邪魔して、素晴らしいお歌を発見しました。

作者のご母堂が教会に通っていらっしゃり、またご一家で和歌も嗜まれるそうです。

そのご母堂がペンテコステに詠まれた歌に、私は感銘を受けました。

http://www.kokoronouta.net/
kigen/family2/topics.cgi

祈らざる前(さき)にわが願ひ知り給ふ神といふああすばらしいかな
火の柱雲の柱をめざしつつモーセは民族(たみ)を率ゐて行きぬ
キリストの十二のみ弟子みな男なれば今夜つくづく不思議と思ふ
野茨(のいばら)の中に落ちたる種われは伸びざりしかな伸びねばならぬ
濡れしきる舗道(いしみち)の油紋も跨(また)ぎ越えペンテコステ礼拝に急ぐ

このように、福音と伝道に関する思いをも、三十一文字に載せることが可能である、と実作を前にして知ることができて、心が強められました。

私自身の実作への道は多分、まだまだ遠いでしょうが、今宵は大きな希望を与えられました。この歌を教えてくださった神様への感謝の念にたえません。

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26 October 2004

GMT(グリニッジ標準時)がなくなる?

イギリスで、大陸との時差解消法案が出されているとのニュースを読みました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041020-00000042-kyodo-int

英国で時間を1時間進め、フランスやドイツなど欧州大陸側に合わせる法案が検討されている。大陸側の会社との連絡や取引の際に時差を無視できるため金融界も法案を支持している。

現在イギリスと日本の時差は、GMT(グリニッジ標準時)で9時間、夏時間の時には8時間です。それに引き換え大陸は、CET(中央ヨーロッパ標準時)で8時間、夏時間の時には7時間です。

確かにイギリスと全く同じ経度に位置するスペインが中央ヨーロッパ標準時を選んでいることを思えば、イギリスだけが意地を張って、GMTを守る必要性はないのかもしれません。

ここで得られるメリットは、

大陸との往来で時計を調整する煩わしさがなくなる上、時計の針を1時間進めることで冬も日没前に帰宅することができ、交通事故を減らす利点もある

ということだそうです。
確かに、ロンドンに四年間暮らしてみて、ロンドンでも冬至付近には午後三時半に日没になり、午後四時ともなれば真っ暗、という状況は気が滅入ります。10月25日現在、夏時間の最後の一週間で、日没は午後五時半ですが、これが冬時間になる来週日曜日から日没は一気に午後四時半になります。だから、私自身も、夏時間がずっと続いてほしいと内心で思っています。

しかし、その一方で、今日現在、日の出が既に午前7時半を過ぎており、午前8時に目を覚ましても、まだ黎明の感があります。クリスマスの頃になれば、冬時間になっていてもそうなってしまうのですが、もしこれが夏時間のままだったら、クリスマス頃のロンドンは、午前8時は真っ暗、午前9時にようやっと夜明けになるわけです。

これが、スコットランドの、Aberdeen や Inverness といった都市になると、冬時間でも冬至付近には日の出の時間が午前9時を過ぎます。ということは、大陸との一時間の時差を解消したら、これらの都市では、クリスマス付近には日の出が午前10時というとんでもない事態になるわけです。

つまり、帰宅時間に真っ暗という事態は避けられても、出勤は真っ暗な中で行われる、ということになるのです。

勿論、イギリスよりももっと緯度が高い北欧諸国では、現在も当然そういう状態で人々が日常の出勤を行っているわけです。しかし、これらの国は太古の昔からそのようなサイクルで生活することに慣れている、という点で、これから事態を変えようとしているイギリスと事情は違います。

実際、上記の記事でも

ただ、緯度が高い英北部のスコットランドは、冬の日の出が午前中の遅い時間になるとして法案に反対している。

とあり、スコットランドから反対の声が既に上がっているようです。

低緯度の国にとっては、大したことがなくても、高緯度の国にとっては、重大な問題です。

何でも孤高を保ちたがるイギリスが大陸に歩み寄る姿勢を見せていることは興味深いのですが、実際の人々の生活を考えてみると、この法案に関しては、疑問がある、というのが、生活者の正直な感想です。

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25 October 2004

[お薦め]Luckenwaldeさんのブログ「松磯山荘茶室」

私の大学時代以来の友人で京都にお住まいのLuckenwaldeさんが、この度ウェッブログ「松磯山荘茶室」を開かれました。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/26688

お茶にもピアノにもクラシック音楽にも造詣が深い、趣味の豊かなお方です。
松磯山荘という素敵なサイトもお持ちでいらっしゃいます。

京の雅な世界、クラシック音楽の高尚な世界にご関心がある方にはお薦めのサイトです。

Luckenwaldeさま>
今後のご活躍を楽しみにしております。

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23 October 2004

Grace馨子の英国徒然雑記 - 引き続き休眠のお知らせ

ご訪問ありがとうございます。

10月15日に無事にロンドンに戻って参りました。

それから、一週間たちましたが、まだ疲れが取れておりません。また、色々と整理しなければならないことが山のように溜まってしまっており、解決の目処も立っておりません。ですので、引き続き暫くの間、本ブログを休眠状態とさせて頂きます。

ただ、Grace馨子の食雑記Grace馨子の徒然紀行の方は、気が向いたらアップロードすることもあるやもしれませんので、よろしくお願いいたします。

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18 September 2004

一ヶ月休眠のお知らせ

来週より四週間ロンドンを留守にします。

また、その間、パソコンを修理に出すために、暫くネットにアクセスできない状態が続く予定です。

ですので、もしも可能ならばアップすることがあるやもしれませんが、原則的には10月半ばまで、当ブログの更新をお休みさせて頂きます。

今後ともよろしくお願いいたします。

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07 September 2004

学会発表のあり方とウェブ・コミュニケーション

自分が専門としている学問に関して、最近、今まで体験したことのない体験をした。

私の専攻は「古代ローマの宗教」であって、歴史学の手法で古代史料を読み解きながら、古代ローマ人の宗教の様相を読み解き、再構築を試みようという主眼である。

その歴史学においては、史料の読解が大変重要視される。ある史料を読む際には、既存の訳がある場合には出来る限りそれらを参照しながら、自分で訳を作成し、さらに語の用法については、Codexや参考になる同時代の史料にも当たりながら、訳を決定してゆく、というプロセスが決定的に重要なのである。そして、その背後から浮かび上がってくる時代の様相を描き出してゆく。

二次文献に関しては、そのテーマについてどのように今まで議論が論じられてきたか、基本的なものはきっちり通読する。しかし、自分が精通している分野に関しては、一冊の本の中のある論文の中のある一章、あるいはほんの数節だけを読むこともある。こういう場合には、Indexを使って、自分が気になっているキーワードが出ているページを探して、そこだけを読むことも起こりうる。

しかし、自分は今まで、少なくとも一次史料に相当するものに関しては、日本語訳や英訳があれば何度も通読し、さらに古典語で読解しながら訳を作ってゆく、という作業を怠らなかった。

だが最近、ある発表をする際に、その発表の中で「一次史料」に相当する文書に関して、Indexで探したキーワードが出ている箇所だけ拾って読む、ということをしてしまった。

一応それで発表原稿を作成することは出来たが、自分の中で今ひとつ納得がゆかない。このような断片を、深い行間の読みや背景の検討がないままに、繋ぎ合わせることに自分の中で危機感を覚えているのだ。


学会発表とて、コミュニケーションの一ツールである。このように情報の深い読みがないままに、断片で繋ぎ合わせて、何とか見映えのする発表原稿を作る、というのは私だけのことではない。周りの学生たちの発表を見ていると、日本であるかイギリスであるかを問わず、かなりそういう繋ぎ合わせのものが多いのである。勿論少数ながら、深い読みと背景の検討を兼ね備えた発表はあるにはあるが、多数派ではない。何か無理やり、小奇麗な布を集めてきて、パッチワークを作ってみました、という感がするのである。

そして、そのような感覚の裏にあるのは、ウェブを中心とした、コミュニケーションのあり方の軽量化があるような気がしてならない。


ウェブでは多量の情報が流れているので、拾い集めるのは容易だが、集めた一つ一つの情報を丹念に検討し、背景まで洗っている暇はないのが現実である。深い検討もなされずに、表面の類似性を手がかりだけにして、ざっと集めて並べるだけであるから、交ぜ織りどころか、単なるパッチワークで終わってしまう。

こんなことを考えていたら、CNETで渡辺聡氏の情報化社会の航海図「千夜千冊を終えて、越えて」(2004年07月26日)という記事に出会った。

http://blog.japan.cnet.com/watanabe/archives/001422.html

ちょっと時が経っているが、内容は色褪せるものではないので、引用してみたい。

ウェブの世界で最近起きていることといえば、情報の断片化と分散化である。サーチエンジンが良く使われるようになり、ファイル単位で情報が流通しやすくなったことなどが原因として指摘出来るが、結果として情報の背後にあるコンテクストが薄くなった。断片的に押し寄せる情報に対してあっちとこっちの関連性を紐付ける場面が少なくなっている感覚を受けている。これは情報そのものが変わったというよりは、断片的な情報に触れる機会の方が多くなり、シェア変動が起こったことから緩やかにシフトが起きているというのが現実に近いだろう。失われたものは読み手が引き受けるしかない。リテラシーは以前より必要になっている。

「関連性を紐付ける」ことは重要である。学問の世界では、なぜ引用しているのか、その理由が明確でなければ引用をすべきでない。情報は時系列なり、ある一定の法則に則って整理し直されて提示されるべきである。場合によっては、その整理の仕方にオリジナリティが認められることだってあるのだ。

分散化はまた集めればよいとしても、断片化している情報を再構成するのは容易なことではない。しかし、西洋古典学の分野では、古代史料というものは大概断片化しているわけだから、そのこと自体は余り問題ではない。古代史料と現代の情報とが比べ物にならないのは、数量である。

古代史料は、考古学の成果による未知の発見でもない限り、そしてそれは滅多に起こらないから、全体量が増えることはまずない。しかし、現代の情報は、刻々と増えてゆく。しかも、情報ロンダリングとでも言うべきか、ソースが転々としてゆくために、情報の出所すら確定し得ないほどに、野火のように広がってゆく。しかも、ウェブの世界ではコピペ(copy & paste)が常識であるから、筆跡鑑定が出来るわけもなく、情報は、引用者によって切り細裂かれ、場合には元来の意味と逆のコンテクストで使われたりしながら、広まってゆく。現に私も渡辺氏の文章の中で、我が意を得たりと思ったところを選び出しているが、彼の元の文のコンテクストは無視しており、読みたい人が見られるように、上記にリンクを示しているだけである。こういう時代にあっては、ある一つの史料がどのように転写されて展開していったかなど、全く追跡不可能である。


最近、Blogpeople が「Trackbackpeople」と題して、ある題に関して、それに関する記事を書いたら、トラックバックするようなサービスを打ち出した。これは、ネット社会に氾濫する情報に関して、少しでも意味の連関性を手繰りやすくしたいという、人々の希求が形をとって現れたと考えられなくもない。

しかし、これはまだまだ小さな試みであって、大まかな潮流は大量の情報の断片化と分散化の方向に向かっていると考えられる。


恐らく今回私が感じた危機感は、自分がついにその流れに与するコミュニケーションの形を、学会発表という、自分ではそうであってはならないと思っている場でやってしまった、という負い目からくるものであろう。そして、これが自分だけの失態ではなく、学問界の流れの中でも、そのように断片化したものを深い読みなしに浅く繋ぎ合わせてよしとする傾向が強まっていることに対して、危機感を感じているのだと思う。

学問といえども、学会発表や論文という形をとって、他者に伝える以上、それはコミュニケーションの一ツールである。だから時代の趨勢の影響を被るのは致し方がないと言えば致し方ないのかもしれない。しかし、自分の中には、せめて自分だけでもそうはなりたくないという思いがある。そして、その思いが時代の趨勢に逆行していると十分にわかっているからこそ、違和感を感じるのだと思う。

今のところ、これ以上考察を進めることも具体的行動を起こすことも出来ないが、このように考えたプロセスと、本能的に違和感を感じた事実だけは忘れないようにして、ものを書く作業を続けてゆければ、と思う。

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